「ジャパンブルー」という言葉を耳にしたことがある方は多いと思います。最近では、サッカー日本代表のユニフォームも「ジャパンブルー」と呼びますね。日本代表のユニフォームは化学染料の青ですが、元々「ジャパンブルー」というと日本の藍染めのこととして呼ばれていました。その由来は明治期にまで遡ると言われています。
明治期に来日したイギリス人の化学者、ロバート・ウィリアム・アトキンソンが、藍染による美しい青が印象に残ったことから「ジャパンブルー」と名付け、賞賛したことに由来しているそうです。(ただ、私はそのような文献を見つけたことはなく、根拠がない噂話が現代まで広まっている可能性もあるかもしれません。)もう1人、明治期に日本の藍染めについてきちんと随筆されているものですと、明治期の小説家であるラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の「東洋の第一日目」です。
《小さな妖精の国――人も物も、みな、小さく風変わりで神秘をたたえている。青い屋根の下の家も小さく、青いのれんをさげた店も小さく、青い着物を着て笑っている人も小さい》
《従業員の背中に(その法被を着た人が、どこの店や組に属しているかを示すために)紺地に白く、かなり遠くからでも簡単に読み取れるほど大きく文字が書かれていると、安物のぱっとしない衣装も、いっきに人の手が加わった輝きが添えられるのだ。》
明治初期の日本の風景に藍染めが溢れていて、海外の人たちからみるとそれはとても美しかったのだろうと想像します。現代ではほとんどの布製品が化学染料になっていますし、昔のように藍染めが生活に必須のものではなくなりました。それでも「藍染め」という言葉を多くの方がまず知っていて、藍染めに興味があったり、愛好家の方が一定層いるというのも事実です。その時代によって藍染めの用途や必要性は変化しますが、藍の魅力そのものは時代を超えて不変なのだろうと感じます。藍を活かした現代的な表現を考えることはとても楽しく、いつもたくさんの可能性が詰まっているのです。